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明るい癌患者の翻訳メモアー

明るい癌患者の翻訳メモアー その1(2026年1月5日)

私の名前は加藤頼久。株式会社証券会計翻訳総研の翻訳責任者です。2025年4月に癌が発覚し、7月に手術。その後再発防止治療を行い、11月にその結果を確認。非常に再発しやすい癌のため、多少の不安はあったものの、案の定再発していました。2026年1月から再度入院して、治療にあたる予定にしています。退院後は従来同様、翻訳業務に積極的に携わっていく予定です。

安静にしながら少し過去を振り返ってみたい気になりました。いろんな翻訳に携わってきたなという思いです。最初に本格的に翻訳に携わるきっかけになったのが東証です。ちょうど定款や上場規程、諸規則及び準則等の翻訳が必要になったときで1990年ごろから大きくお手伝いさせていただくようになりました。今なお上場審査ガイド等の翻訳でお世話になっています。その当時は今のようにWORDでの処理ではなく、英文はNECや東芝の英文ワープロ、日本語は富士通のオアシスなどの日本語ワープロを使用していました。必要に応じてコピーの切り貼り等も行っていました。ちなみにそれ以前は英文はタイプライター、日本語は原稿用紙への手書きでした。

1990年ごろになると様々な翻訳案件が出現し、お手伝いさせていただくことになりました。今でもよく覚えているのがOECFのODAレポートです。日本が様々な開発援助計画に基づいて公的資金援助を東南アジアや中国など各国に行っていました。その成果を英文化して報告書にまとめるという作業が生じました。幸いにもそれら報告書の翻訳を、OECFの依頼でお手伝いさせていただくことになりました。今のようにインターネットが充実している訳ではなく、地名や人名を調べるのに人名辞典、地名辞典等を揃え大変苦労して英訳したことを覚えています。

次に思い出されるのが、1989年に金融商品先物が解禁になったことから用語をためていました。3000語くらいになったところで、WAVE出版に相談させていただいたところ、出版の運びになり、ISS編金融用語辞典として出版されました。用語の意味を詳しく説明した辞典は多くあったのですが、用語数が少なく、ぴったしくる訳語がありませんでした。その中で語数が比較的多くたまたまぴったしくる訳語があるということで当用語辞典が重宝され、何部出版されたかはわかりませんが、評判がよかったのかもしれません。それをさらに拡充させた形の、語数も3万語以上の用語集を出版する話がまとまり、各種の用語集を1990年代前半に出版することになりました。WORDやEXCELも充実し、大量の用語をまとめることができるようになりました。金融証券以外に会計や法律の用語辞典などそのシリーズの出版は2010年以降も続き、今では証券会計翻訳総研のホームページ(会計・金融・証券用語辞典 ── IFRS、証券、IRの翻訳は証券会計翻訳総研)で閲覧いただけます。

用語辞典を編集する間に、1996年開催の国際都市博に関する翻訳をお手伝いすることになりました。しかし、都市博自体は1995年に中止になってしましました。その代わりにビッグサイトで映画をモチーフにした展示会が開催されました。その翻訳通訳を担当させていただきました。その当時の洋画は必ず日本語タイトルに訳されており、翻訳するときには大変苦労しました。映画辞典などを片手に映画のタイトル、出演者等の翻訳をしました。

さらには、その後財務省の国債ガイド等の翻訳をお手伝いさせていただくことになります。国債市場の懇談会に関する議事要旨の翻訳を平成14年からお手伝いさせていただきました。また1998年からのナスダック・ジャパンの翻訳業務も記憶に残っています。上場規程から諸規則の翻訳全般、ナスダックに関する記事さらにはマーケット・メーカー方式のユーザー・マニュアル、オペレーション・マニュアル等の翻訳をお手伝いさせていただきましたが、そのときにはインターネット通信も普及し、IIJやニフティ等のネットワークを利用してデータを送りました。しかし、その当時は通信速度も遅く容量も小さいため、案件によっては、麹町からアークヒルズに送信するのに、3時間以上もかかったことがありました。ディスクで届けることの方が多かった気がします。でナスダック・ジャパンの閉鎖がきまった2001年9月11日にアメリカでのテロ。これは衝撃でした。ナスダック・ジャパンを引き継いだ大阪証券取引所の規程や規則の翻訳も数年にわたり数多く手伝わせていただきました。

2000年を過ぎると証券の無券面化が進み「社債等の振替に関する奉律」「証券の振替に関する法律」が整備され、それらの翻訳、関連する翻訳をお手伝いさせていただきました。それ以外にもファイリング書類、金融レポート、目論見書、契約書、格付け書類等とさまざまな翻訳に従事しました。

2002年に企業会計基準委員会が設立され、そこからは国際会計基準の翻訳を精力的にお手伝いさせていただくことになります。ここからはまた次の機会に。

明るい癌患者の翻訳メモアー その2(2026年2月13日)

癌の再発で入院し、先日ようやく退院し仕事にもどりました。

翻訳、どのように始めたのでしょうか。自分なりに振り返ってみました。英文和訳とは当然異なり、翻訳には独特の訓練と勉強が必要と感じています。最初に翻訳をしようと思ったときに、取り組んだのが、対訳本の活用でした。和文の英文化については、まず経済関係の対訳本を入手し、日本語を自分なりに英語にし、それがどのように翻訳されているかを見て、自分で添削をし、再度翻訳をするという作業を繰り返しました。英語から日本語については英字新聞の社説を翻訳し、それを日本語版と照らし合わせるようにしました。

今でもその作業は続けています。小説、エッセイの翻訳、それを対訳の日本語と確認しながら確認しています。それ以外にも時事英語、サイエンス記事、経済学原著等を利用しています。今翻訳に携わっている人は、おそらく「reluctant to translate only except for the money」 ということでしょう。その意味では、こうした作業が不毛な努力に見えるかもしれません。「なんでそんなことをするの。報酬に関係のないことをしても無駄じゃない」と言われるかもしれません。実際に不毛と思われる努力が実際に不毛であったかどうかは後になって分かることなのでそんなには気にしていません。19世紀のエッセイや戦後の批評などを自分なりに翻訳してみると面白いと感じています。「catch him except for his own thoughts」が「何か考え事をしているという以外は彼が何をしているか分からない」というような訳になるんだと思ったことがありました。buy 3/5wineが「ワインボトル3本を買って」とか。resent the transports of others 「他の人が好調でいるのは嫌い」あるいは、only when and where we think it worth while が「価値があるとして時間や場所を選んだとしても」とか

翻訳は発展、進化、進歩しているのでしょうか。昔と比べて、翻訳の分野は広がり、あらゆる分野に翻訳が係わるようになっている、という意味では翻訳は著しく発展しています。また、以前は依頼主は様々な分野で翻訳に頼っていました。新しい概念を理解するのに翻訳は非常に役立ちました。その場合には依頼主とその内容についてお互いに確認する場面がたくさんありました。たとえば、depositを寄託とするか預託とするかは、組織内で1か月以上にわたって議論され、その過程と結果が伝えられ、それに従って翻訳をしていきました。今は依頼主がその内容を理解している、それを他の人に伝えるという意味での翻訳が主流になっています。内容を理解している依頼主が翻訳を自分でするより、翻訳者に依頼した方が、自分の本来業務に集中できる、自分の業務を効率的に行うことができる。翻訳も必要な情報を容易に入手できる。でも実際には翻訳をする側でも、用語についていろいろ考えます。たとえば、criteriaを「要件」と訳せるのか、「基準(判断)」ではないのか。審査基準等ではcriteriaが使われています。以前であれば、内容を確認するのに大きな手間暇がかかりました。その意味では翻訳は、機械翻訳やAI翻訳を含め大きく進化していると言えます。ただし、翻訳の目的が定義されないかぎりは、目的に近づくことが進歩であると考えていますので、今の私にはまだ目的を定義することができておらず、進歩していないように思います。

余談ですが、昔の翻訳にはいろいろなエピソードがありました。「lion」を「窮地に陥る」と訳すべきところを単純に獅子と訳した例が語り継がれています。実際に私が聞いた誤訳の例にサミュエル・ウルマンの「青春」があります。サミュエル・ウルマンを好きな人は多くいます。今でもある企業の一室にマッカーサーの執務室が残されており、そこにマッカーサーの胸像があります。マッカーサーがウルマンの作品を好んでいたということで、その裏にサミュエル・ウルマンをこよなく愛した人の名前が記されています。余談ですが、その印税は寄付されたり、米国のサミュエル・ウルマンの地巡礼に使われました。そのサミュエル・ウルマンの「青春」の翻訳にあたって、悩んだ末に「air station」を「無線局」と訳せばよいところを「あの世」というように訳し、悩まれたというのを目の当たりにしたことがあります。また、「連携」でcollaborateを使ったら、「それはスパイ的な協力の意味があるから使用しないで」と言われたこともありました。今では普通に使っています。 余談ですが、議事録があるのですが、公的機関の議事録は発言のすべての発言を1語1句記したもので、普通に議事録といっているものは議事要旨になります。

こんなことを楽しく考えています。

再手術の結果を聞きにいきました。さあ、大変、癌は治っておらず、再度の治療が宣告されました。2月、3月と抗がん剤治療で5月に再度手術をすることになりました。さすがに明るい癌患者とも言っておられず、少し明るい癌患者にしようかと思っています。


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